Wikipediaより
清和天皇が即位した翌年の貞観元年(859年)の夏、空海(弘法大師)の弟子であった南都大安寺の僧行教が宇佐神宮に参詣した折に「われ都近き男山の峯に移座して国家を鎮護せん」との神託を受けた。これを受けて、その翌年の860年、清和天皇の命により社殿を建立したのを創建とする。「石清水」の社名は、もともと男山に鎮座していた石清水山寺(現在は石清水八幡宮の摂社)に由来する。
以来、京都の北東にある比叡山延暦寺と対峙して京都の南西の裏鬼門を守護する王城守護の神、王権・水運の神として皇室・朝廷より篤い信仰を受け、天皇・上皇・法皇などの行幸啓は250余を数える。
また、源氏をはじめ、足利氏・徳川氏・今川氏・武田氏など、多くの清和源氏が氏神として信仰したことから武神・弓矢の神・必勝の神として崇敬された。
厄除けの神様として有名で,御神矢を頂き,祈祷してもらうのが定番である.多くの人が訪れるため,手順はシステマチックである.土曜日だったらもっと混んでいるかと思ったが,全然待たなかった.それにしても御祈祷は前回の城南宮,地鎮祭に続いて3度目だが(毎年祭りには勿論参加しているが個人的という意味で)住所,名前,年齢まで述べて具体的にお願いするわけであるからとても明快で科学的?である.仏教の読経が何をいっているか分からない(そもそも舶来なので)のに比べると,和式は分かりやすい.
帰りはケーブルカーを使わずに山を下ってみたが,結構険しい.ケーブルカーを使わずに参ったなら,まさに天上の別世界に参った感じになり,有難味も増しただろう.パワーを感じる空間であった.
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